僕は任天堂という企業が大好きです。
オタクのあいだでは、そういう人を「任天堂信者」とも言います。
僕が小学校1年生だった1983年7月15日、ファミコン(ファミリーコンピュータ)という画期的な家庭用ゲーム機が任天堂から発売されました。
テレビなどで話題になっていたので、その年の9月、姉の誕生日にファミコンがウチに来ました。
まさにもうファミコン世代ド真ん中です。
ファミコンソフトの容量は2メガビット。
いまでは「ビット」という単位もあまり馴染みがなくなりましたが、わかりやすく書くと256キロバイトです。
そんな小さな要領のソフトに夢がたくさん詰まっていました。
ファミコンと同時に発売されたソフトに「ドンキーコング」というのがあります。
有名な「マリオ」というキャラクターは、すでにこのゲームで登場しており、その後は任天堂のメインマスコットキャラクターとして活躍することになります。
近くの駄菓子屋に「ドンキーコング」のゲーム機(もとはゲームセンター用でした)があって、それを知っていたので僕は買っていませんでした。
明日、「スーパーマリオ ギャラクシー」という、任天堂Wii用のソフトが発売され、ウチに来ます。
「ドンキーコング」から24年経ったいま、また「マリオ」で遊ぶ僕がいます。
こんなに何年も人を惹きつける企業はめったにありません。
だから任天堂が好きだと言わざるをえないんです。
いまの20代以下の若い人で、ファミコンでゲームをした経験がある人はほとんどいないでしょう。
ケータイでもファミコンのゲームが遊べる現代では、ファミコンを持つ必要などありませんね。
ファミコン世代が最も憂鬱だったのは、親から「ゲームばっかりしてないで勉強しなさい」と言われることでした。
そういう僕も子供ながらに「そりゃぁこれだけみんながファミコンやってれば、日本の学力は低下するだろうな」と思っていました。
そうこうしているうちに、日夜ファミコンに熱中する子どもたちは社会現象となり、親たちはファミコン含めテレビゲームを「悪いもの」「子供を堕落させるもの」として嫌ってきました。
いまでもそういう風潮はまだあって、ちかごろでは勉強をしなくなるという心配どころか「テレビゲームは人殺しをつくる」とまで言われてしまってます。
テレビゲームをやることがそんなに悪いことでしょうか?
少年犯罪の原因が本当にテレビゲームにあるとすれば、世界一のテレビゲーム大国である日本は、世界一の少年犯罪大国でもあることになります。
人は無意識に「必要悪」を求めます。
テレビゲームの世界は大人が知らない世界なので、知らない・わからないものを悪にしておけば自分が楽なのです。
そういった安易な考えから、テレビゲームは教育上良くないものとして一般に知られています。
そこで立ち上がるべきはファミコン世代ではないでしょうか。
朝起きて夜寝るまで、そして徹夜してまでもファミコンにどっぷり漬かっていた僕らの世代は、テレビゲームのことをよく知っています。
最近の小学生のゲーム話ですらついていけます。(僕の場合は)
ファミコン世代には、ファミコンから夢や希望をもらった人がたくさんいます。
なぜなら、ファミコンやゲームソフトをつくった人たちが、夢や希望に溢れていた時代だったからです。
人が一生懸命になってつくったものに、人は感動します。
映画や文学、芸術などについて一様に批判する人はほとんどいないと思います。
僕から見ると、テレビゲームはそれらの文化となんら変わりがなく、並列のものとして見ています。
テレビゲームを知らない、興味がない人が考えているよりも、じつはテレビゲームというのは進んでいるんです。
なかにはハリウッド映画すら超えるような文学的・芸術的なものもあります。
映画やテレビなど一方向のものと違って、自分で操作して進めるため、感動もひとしおです。
これらは少しは誇張も入っていますが、テレビゲームには、目で見て、自分で考え、行動し、失敗したらやり直すといった社会での生活と似たものがあります。
そうできるように製作者が練りに練って作ってあるため、これは単に「ゲーム」としてのものではなく、「作品」という位置づけです。
そういったものに触れることは、小さい頃には特に必要です。
もちろんテレビゲーム以外のものにも、できるだけたくさん触れるようにしてあげるのが最も良いですね。